辻井伸行さんとショパンコンクール
昨日の新聞の一面に
辻井伸行さんのインタビューが載っていた。
辻井伸行さん
私でも名前を知っている全盲のピアニストだ。
2005年に17歳でショパンコンクールに挑戦した時のことだ。
辻井さんがショパンコンクールに出場されたのは
実は知らなかった。
その記事には
先生からショパンコンクールの出場はまだ早いと言われたこと。
ショパンコンクールは入賞したいより、
大好きなショパンの生まれた土地で演奏してみたかったということ。
セミファイナルでは納得の演奏ができ、
ポーランドのお客様を喜ばせることができたと。
ファイナリストに選ばれず悔しかったこと。
この悔しさが、4年後
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝につながったこと。
ヴァン・クライバーンでは死ぬ気で練習したこと。
このコンクールに思い切って参加してよかったと思った。
と語っていた。
さらに、自分は負けず嫌いなこと。
明るくポジティブな母のサポートでここまでこれたこと。
コンサートは一回一回が勝負、ということ。
演奏、音楽、お客様との一体感が自分を集中させる源だと。
そして、お客様の拍手が幸せの瞬間だと。
ヤクルト1000はおいしいから毎日続けて飲みたいと。
このインタビュー記事はヤクルト1000の広告記事だった。
ヤクルト1000。
当時のドキュメンタリー映像を見ると
2005年にショパンコンクール出場した
当時のドキュメンタリー映像を見た
予備予選では
エチュードの10‐1と10‐2
ソナタの3番の第一楽章を演奏した。
一次予選へと進み
スケルッオ2番作品31、
ノクターン62‐1を弾く練習や一次予選の演奏を映していた。
そしていよいよ二次予選では
マズルカ作品24
ピアノソナタ第3番第3楽章
そして、アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズを演奏。
アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズの演奏が終わると
観客の拍手が鳴りやまず
いったん川上先生に支えられステージをあとにするが
再びステージに上がるシーンを映した。
なんと4回ものカーテンコールがあったそうだ。
残念ながら辻井さんはファイナルには進めなかったのだが
辻井さんにはポーランド批評家賞という賞が与えられた。
ショパンコンクールが終わった後
辻井さんはポーランドの盲学校に慰問に訪れ自作の演奏を披露するところで締められていた。
辻井さんの予選の演奏、
聴いてみたかった
大好きなアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズと
「ピアノの森」で一ノ瀬海が予選で披露した曲ピアノソナタ第3番の第三楽章。
この曲を一ノ瀬海が超、超、超ピアニッシモで聴かせ観客を驚かせた曲だ。
辻井さんのピアノソナタ第3番も聴いてみたかった。
あれ?2005年のショパンコンクールにピアノの森の登場人物が
このドキュメンタリー映像には
2005年のショパンコンクールの審査委員長
アンジェイ・ヤシンスキーさんのインタビューがでていた
ヤシンスキー委員長は
「彼が目が見えなくても、審査は目の見える人と同等の基準で行う」とコメントを述べていた。
辻井さんに注目するマスコミに対し冷徹なコメントを寄せたヤシンスキーさん。
この人、「ピアノの森」で一ノ瀬海をファイナル進出を阻もうと画策した
ピヨトル氏と顔がそっくりだ。
漫画を思い出し、
思わず笑ってしまった。
活躍の原動力
2005年当時から辻井さんはすでに
メディアから注目されていた様子がうかがい知れる。
二次予選の前に辻井さんはたとえファイナルに進めなくても
やるだけのことをやったので悔いはないと話していた。
だが新聞のインタビュー記事にもあったように
この時の悔しさが
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝と
今の活躍につながっていることだけは間違いなさそうだ。
それにしても、辻井さんのショパンコンクールでのの演奏を
聴いてみたかった。
今日のミミごはん
今日はモンプチかつおとろみスープにしたて。
またしても焼き鮭を頬張るミミだったが。
ウエットもわずかだが食べてくれていた。
ミミの焼き鮭ブームいつまで続くだろう。
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